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野火

大岡昇平著「野火」読みました。すごかったです。
文学的にはとても評価の高い作品ですが、僕的にはそうでもないと(勇気を出して)言ってみる。というのもですね、僕はノンフィクション作品が好きで、もちろんいろんな小説やらマンガ等も読みますが、野火に関して言えば、ノンフィクションでありフィクションでもあるわけですよ。僕はそういう白黒はっきりしないところがどうも・・・ね。Xファイルみたいにあやふやなのは苦手なのです。Xファイルと比較できるものでもないですがね。
で、何故に野火を読むことになったのか。それはただ単にpipopanに「読んで感想を聞かせろ」と言われたからでして・・・本日ここに至るわけです。

 戦争体験者の小説ということで、自らの体験をもとに書かれているわけですが、やはり戦争を知らない僕としてはなかなか意見・感想し難いものがありますね。それを念頭におきながらも、感想を述べようと思う。聞かれてるわけですし。
 僕が特に興味を引かれたのは後半以降です。この作品の主人公である田村一等兵が彷徨としながらも同胞と出会い、別れ、病院送りとなるこのくだり。まず注目したのは田村が“行き先のない自由”の立場にいること。先日読んだ山本七平著「一下級将校の見た帝国陸軍」では
徹底した事大主義がかかれていたので、それと相反する状況にはとても興味を引いた。またこれは病人と言う立場からそうせざるを得なかっただけなのかもしれないが、それ故にフィクションというものが確立できたのかもしれない。
 さて、田村一等兵が糧秣もなく、草や虫を食する非常に困難な状況に立たされたとき、彼は人肉を食らうかどうか心の中で葛藤する。むろんそんな逼迫した状態なのだから、死人の肉を食らって生きていけるのならそれにこしたことはないんじゃないか、と思うのが現代人の考え方ではないだろうか。もちろんそれは「自分にはそんな状況におちいることがない」ということを前提として第三者と言う立場だからこそ言えるのだろうけど。 しかし田村はそれをせず、そうして生き延び、自分を助けてくれた男たちを殺してしまう。なんて皮肉じゃないか。死人は食べられない。食べられないから食べようとする奴を殺す。言ってしまえばこれは偽善であり驕慢であり、人としての誤謬であろう。世の荘重深遠なる人の命。懐疑的になった人間がこれを左右することなど到底無理な話であって、彼(田村)は全ては偶然という言葉でくくっているがコレもまた傲慢でしかないんじゃなかろうか。ただ、それが狙いと言われてしまえばグウの音もでませんが・・。

極端な状況で人がその理性を失ったとき、そこに現れるものはいかなるものか。

ううむ・・・やっぱり感想書くの難しいや。
Theme: 小説 - Genre: 小説・文学

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