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幸せではないが、もういい

ペーター・ハントケ著「幸せではないが、もういい」を読みました。なんちゅータイトルじゃ!と不意打ちを食らったので読んでみました。
幸せではないが、もういい 幸せではないが、もういい
ペーター ハントケ (2002/11)
同学社
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ドイツ文学です。僕はノンフィクションや、英米文学作品を読むことが多いのですが、今回はあまりにもネガティブなタイトルだったため興味をひき、手に取ってしまいました。
この本は著者であるペーターの母親が51歳で自殺したのを期にかかれたものですが、僕には理解しがたい文章が何度となくでてきました。それで何度眠りに落ちたことか・・・あえて感想かくし。

この作品は実際に起こった母親の自殺とかかわる自伝的要素の強いものです。話の後半はそれこそ母親の物語のような語り口なので非常にわかりやすく、また著者と母親の関係も最後のほうには具体的に明記されているので普通に読めます。
問題は前半だよ。読んでいたはずなのに、気がつけば目で字を追っているだけで全然内容が頭に入ってこない、それどころか目の動きとは別に頭ではまったく違うことを考えている。ホントにただ読んでいるだけ。それで何度読み返したことか。。。何度眠りについたことか。。。
訳者によると、この作品は単なる事実の記録ではなく、事実と言葉の格闘を通して生み出された独自の表現からなる作品とのことです。事実と言葉の格闘・・・・。著者も述べていますが、事実を文章にしようとすると、少なからずフィクションがはいってくることになる。さらに事実を詳細に伝えようとすればするほど必然的に言葉も多くなるわけで、同時にフィクション性も高まってくる。そこが事実と言葉の格闘だろう。その結果があのような抽象的な文章なんだろうか・・・。僕にはわからん。いや正確には、言わんとすることはわかるのだけど、イマイチ確信がもてない。ドイツ文学、トラウマになりそうだし・・・。訳者のあとがきが12ページもあるし。多っ!

幸せではないが、もういい  
このような投げやりな言葉はどう発せられるのだろう。なにか自己を抑圧したような重い空気を感じられずにはいられない。

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